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東北新社 映像テクノアカデミア 声優科

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青山 穣 (ケンユウオフィス所属)

『いろいろな経験が「自分の芝居」を創る』

プロフィール:1996年3月卒業
【主な出演作品】
「トランス・フォーマー/ダークサイド・ムーン」(ダッチ役)
「HEROES/ヒーローズ」(ネイサン役)「トンイ」(ハン内官役)

映像テクノアカデミア(以下「アカデミア」)の第1期生。
現在ケンユウオフィスに所属し、声優として第一線で活躍している役者。

 

★公式HP「青山穣さん公認ファンページ
http://www.geocities.jp/syoachome/aoyamasanfan.html

 

 

●アカデミア1期生とのことですが、当時のアカデミアはどんな雰囲気でしたか?

私が入った当時の印象は、なんかものすごく熱気があったなーという感じですかね。なにせ開校したばっかりでしょう、授業の形がはっきりと出来上がっていないし、先生たちも手探り状態で、私たちと一緒に試行錯誤をしていたという印象が強いんです。「授業、面白いか?ためになっている?」なんてよく聞かれましたね。それにアカデミアのコンセプトが実践教育なので、学生のうちから現場に出していただいて、実際の仕事が出来たことは面白いというよりも、スゴイ!と思いました。今思うと、当然、初歩的な仕事なんですけど、その頃の私たちにとっては、そりゃスゴイ!と言うよりほかないものでした。

 

●高校は演劇部だったそうですね。

ええ、中学校も高校も演劇部でしたね。高校は男子校だったんですが、そこで高校演劇の全国大会の出場権を獲得できたのが、役者を目指す大きなきっかけになりましたね。稽古は今思い出しても相当過激な訓練で……特にその高校演劇の大会のときの合宿訓練は徹夜です。夜通し何回通し稽古をやったか、限界を超えてまで稽古をやったっていう感じです。いわゆる千本ノック(笑)。だから誰かが台詞をど忘れしても、代わりに誰かが覚えている、誰かが代わりにしゃべる、なにが起こっても怖くない、ノープロブレム、驚きでした。

 

●その後も演劇の道を歩み続けていた青山さんが、声優になったきっかけは何だったんですか?

じつは私も声優なんていう商売は知りませんでした。ところが、歌舞伎座でアルバイトをしていた時に、とある人から勧められたんです。「青山は声に特徴があるから、声優に向いているかも」って。アカデミアへの入学は確か30か31の時、とにかくそれまでは、そんな世界のことなんてゼンゼン知らなくて……で、その人に声の仕事を勧められたまさにその日にですよ、バイト帰りの丸の内線の車内吊りで、アカデミアの広告を見てしまったんです(大笑)。この歳で、いまさら学校でも……とは思いましたよ。でも、結果的にその時が大きなターニングポイントになっていますね。

 

●アカデミアへの入学前から芝居の経験はいやというほど積まれていたと思うのですが、特別に何かを教えられたということはありますか?

作品を完成させて世の中の多くの人に見てもらう仕事、つまり社会と結び付いた世界を教えていただいたと思っています。それまでの狭いナロウな舞台の世界から、突然広い社会に引っ張り出されたような感じでした。舞台は演出の意図をくみとりながら練習が始まりますけれど、吹替は今まで蓄えてきた自分の引き出しをどう演出にプレゼンするかで勝負は決まってきます。ですからいかに引き出しを、深く、多く持っていなければいけないか、共演者とのアンサンブルも含めて舞台とは別の社会性を学んだんでしょうね……。

 

●最後に声優をめざす後輩たちに一言お願いします。

役者にとって、仕事に取り掛かるための心構えは、渡された台本を読み込む、与えられた自分の役の背景をしっかり捕まえる。このようなことはしごく当たり前のことです。大切なのは、いろいろな意味で、如何に自分というものを深い、魅力ある存在に鍛えておくか、ということなんじゃないかなと思います。どんな時でもその役を、自分自身をしっかりと捕まえておかなければ、深い演技は成り立たないと思うんです。大事なのは、その表現者たる自分が、いかに魅力ある人間存在でいられるか、なんじゃないでしょうか。演技訓練は勿論なのですけど、私はね、できるだけ回り道をした方がいい、いろいろな場所や人を見たほうがいい、そしていろいろな経験をつむべきじゃないかな思います。プロになるにあたって、デビューが遅すぎるなんていうことは決してないんです。訓練を積め、色々な経験をせよ、世界を見て来い、ぜひこれは言いたいと思います。

 

 

 

牛田裕子 (青二プロダクション所属)

『役者としても、女性としても、人間としても、魅力的でありたい!』

プロフィール:2008年3月卒業
【主な出演作品】 「Gフォース」「トランスフォーマー/リベンジ」「G.I.ジョー」「2012」 「COBRA THE ANIMATION−タイム・ドライブ」「最’笑’超人列伝 スーパーヒーロームービー!!」 「ドールハウス」

デビューしてから現在まで、めきめきと活躍の幅を広げている期待の星。

 

 

●最初の質問ですが、なぜ、声優をめざそうと思ったのですか?

高校の時に演劇部にいて、お芝居をやっていたんです。大学受験で部活を辞めて、大学入学で長野から出てきたんですけど、その間お芝居が出来なかったんですね。そうするとお芝居がしたいと言う気持ちが段々強くなって、自分はお芝居をやらなくては……と思い、で、お芝居ができるところを探しました。

 

●お芝居をやりたいんだったら、声優じゃなくてもよかったんですよね?

そうなんですよ。ですから、最初は声優と言うのに的を絞ってはいませんでした。声優も良いし、俳優もやりたいし、そこで見つけたのが、この映像テクノアカデミアでした。ここの基礎クラスは、声優と俳優の基本を教えてくれる所だったので、とにかく、1年間は両方をやりながら、考えられる、と思ってここに入学したんです。基礎クラス(現ステップ1)での1年が終わった後は、研修クラス(現ステップ2)、実践クラス(現ステップ3)と進んで行きました。

 

●実践クラス(現ステップ3)終了時にプレゼン公演を受けて、現在の事務所に入った訳ですが、授業の中で、どんな事がプレゼン公演に役に立ったと思いますか?

そうですね……すべての積み重ねだと思いますけど、「魅せる」と言う事の大事さを授業の中で教わりましたね。それもただ、魅せると言っても、プレゼン公演で1人1分で、自分の一番いい所を出さなくてはいけない、見ている人達を引きつけなくてはいけない、そこの所がこの3年間の集大成のような気がします。

 

●その「魅せる」「引き付ける」ためにはどの様にしたんですか?

まずは自分の得意分野を理解する事と、後は気持ちですね。自分が伝えたい、まだ未熟ですが見てください、と言う気持ちをぶつけて……もう後は気合ですね。自分で足りない部分は気合で埋める位の気持ちで、1分間を表現しました。もうやるしかない!と言う気持ちでしたね。 お芝居の本番当日も同じで、ガチガチに緊張していても、ここまで来たら、もう"やるしかない!"でした。実は、毎回の授業でも緊張はしていたんです。演技でも、吹替でも、ナレーションでもどんな授業でも緊張はしていたんですが、"やるしかない"で押し通しました。それは今でも変わりはありません。

 

●事務所に入ってからの初現場はいかがでしたか?

本番前日の夜までガチンガチンに緊張して、寝られないけど、寝なくちゃと自分に言い聞かせ、とにかく寝るように努力しました。ホットミルクを作って飲み、アロマを焚いて、心拍数を下げる努力をして、なんとか寝るようにしました(笑)。 でも当日の朝は、"やるしかない"と言う気持ちで目を覚まし、台本を読み直したり、間違えないように、何回も読んだり、もうバタバタしていて、緊張をする暇もないくらいでした。

 

●最後に声優のプロをめざす人達にメッセージを一言お願いします。

この道は生半可な気持ちで続けられる道ではないので、自分が本当に声優になりたいのかとか、本気でやる気があるのか、出来るのかを考えてみた方が良いと思います。声優で生活をして行くには、時間も掛かる、それまで耐え続ける忍耐と、その間の時間の使い方も大切だと思います。自分の人生が「声優」という方面にちゃんと向いているのか、考えてみて下さい。後は失敗を恐れずに、思いきりやってみる事です。

 

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