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俳協演劇研究所

 

養成キャリア35年の俳協演劇研究所は、演技の基礎技術の習得から上演実習を通して魅力ある演劇人を育てることを第一の目的としている。卒業後は劇団俳協が演劇活動の場を提供。本公演、アトリエ公演、地方公演の他、マスコミ出演も可能だ。これまでに山寺宏一をはじめ、多くの俳優がここから巣立ち演劇界の様々な場所で活躍している。

 

 

 

役者、演出家、そして指導者として幅広く活躍

劇団俳協 演出部 伍堂哲也

ごどう・てつや●1960年12月6日、東京都生まれ。21歳で俳協俳優養成所(旧称)に入所、23歳で劇団俳協に入団し数多くの舞台を経験する。その後、舞台のアクション場面の演出を任されていたこともあり31歳で劇団俳協の演出部へ。演出家として手掛けた作品も数多く、2007年上演の『レンブラント・レイ』は、生と死を扱った3時間の大作で高い評価を受けた。06年より俳協演劇研究所で俳優の新人育成も担当している。

 

 

高校を卒業して、ただ大学に行くのもつまらないと思った。TVでは『太陽にほえろ!』などドラマ全盛時代。役者も面白そうだと思った。俳協で芝居を始める。日本中を廻った。万雷の拍手と指先からつま先までビリビリした緊張感が心地良かった。その後、演出の道へ進む。役者8年、演出17年。演劇人としてのすべてのキャリアを俳協で重ねてきた。2006年、そんなキャリアに俳協演劇研究所の「先生」という肩書きが加わって…。

 

 

●俳協演劇研究所で新人の育成を任されるようになって2年目だそうですが、手ごたえを感じていますか?

 1年目の研究生の中からは劇団俳協に入り舞台に立っている者もいて、人を育てるやりがいや面白さを感じています。でも、今の研究生を見ていると戸惑うことも正直あります。僕も俳協の養成所出身ですが、当時の自分を振り返ると、何の根拠もなかったけれど「俺が一番なんだ!」と言い聞かせてがむしゃらにやっていた気がする。ところが、2年間研究生と接していて思うのは、みんなすごく受け身なんですよ。自分から何かやってやろうという気概が感じられない。“先生”に教えてもらおうという態度なんです。研究所は学校じゃないんですよ。教わろうとするなと言いたい。だから、僕はここで研究生に“先生”とは呼ばせていません。お前ら何かここに持って来い。俺も持って来る。別に間違ったっていいんだ。何かやってやろう、何か驚かせてやろうというモノを見せて欲しいんです。芝居は創造の世界。演出家と闘う気持ちで取り組んで欲しいと思っているんです。

 

 

 

●伍堂さんが芝居と出会ったのはいつ頃だったんですか?

 子供の頃は野球少年で、高校時代はワンダーフォーゲル部で関東近県の山々を歩き回っていた。芝居とはまったく無縁でした。役者に興味を持ったのは高校3年のとき。ただ漠然と大学に進学するのも面白くない。何かやりがいのあるものはないかと探していたときに、たまたま進路説明会で知ったある専門学校の演劇科に興味を持ったんです。当時は『太陽にほえろ!』などドラマの全盛期。役者も面白そうだと思ったんです。でも、せっかく入った専門学校でしたが、家庭の事情で1年でやめてしまったんですが…。

 

●俳協に入ったのは?

 専門学校をやめてから一時期働いていたんですが、もう一回芝居をやってみようと思ってお金を貯めて、21歳のときに今の研究所の前身である俳協俳優養成所に入りました。2年間(現在は1年)の養成期間を経て、23歳で劇団俳協に入団。すぐに舞台に立つ機会に恵まれて、その後はいろんな作品に出させてもらいました。

 

●役者は何年間やっていたんですか?

 8年程でした。劇団俳協は地方公演も精力的に行っていて、北海道から沖縄まで日本全国廻りました。多いときは年間120ステージ程舞台に立っていましたから、東京にはほとんどいられなくて、アパートの家賃を払うのがバカバカしいくらいでしたね。でも、地方に行くとその土地ならではのおいしい食べ物やお酒を味わえて、楽しい思い出も多いですよ。

 

●数多くの舞台を経験してきて、役者の面白さや舞台の魅力はどんなところだと思いますか?

 舞台の魅力はやっぱりライブ感覚に尽きますね。映像ならNGを出しても撮り直せばいい。でも、舞台の場合はそうはいきません。いくら何十回稽古を重ねてもお客さんが観るのは本番の1回だけ。間違ったら、間違ったままをお客さんに観せることになる。そこが舞台の怖さでもあり面白さでもある。お客さんの反応がストレートに伝わってくるものも舞台ならでは。舞台に立っていると結構客席のお客さんの顔ってわかるものなんです。お客さんが我々の芝居を観て涙ぐんでいる姿を目にしたりすると、自分たちの芝居がお客さんに届いているんだと思いうれしくなる。そして、カーテンコールの大きな拍手。役者をやっていて良かったと思う瞬間です。

 

●役者として挫折を経験したことはありましたか?

 最初の頃は芝居なんて簡単にできると考えていた。せりふを覚えて、相手役と会話をしていればいいんだってね。でも、実際は役としてただ立っているだけでも難しいことなんですよね。それを思い知らされたのは劇団俳協に入って2・3年してからだったと思います。『走れメロス』の準主役のオーディションがあって合格したんですが、稽古に入ってから演出家にこてんぱんに言われて役から降ろされてしまったんです。周りは自分より先輩ばかりで、プレッシャーがあったんだと思いますが、相手が見えていなかった。演出家には一人よがりの芝居に見えたんでしょうね、これでもかってくらい鼻をヘシ折られた。それまでは人には絶対に負けない、自分が一番だと思ってやっていましたからすごくショックでした。この世界は甘くないと思い知らされましたよ。

 

●役者は完全に引退したんですか?

 やめたつもりはないんだけどね(笑)。実は去年の12月に自分が演出した『レンブラント・レイ』という舞台で10数年ぶりに舞台に立ったんです。最初はちょっと不安でしたが、いざ舞台に立つと心地よかった。指先からつま先までビリビリとした緊張感が身体を走る、あの感覚。舞台に立った人間じゃなければわからないでしょうね。

 

●演出はどういうきっかけで始めたんですか?

 僕はアクションが好きだったこともあって、劇団の舞台で殺陣などのアクションの演出をつけるときは僕がやるようになっていたんです。そこで人を動かす面白さに目覚めましてね。自ら演出部に入れて欲しいと劇団に申し入れたんです。実際にやってみるとこれが役者より楽しかった(笑)。

 

 

●一番印象に残っている演出作品は?

 初めて演出した『夜曲』(横内謙介作)ですね。こんなこともやりたい、あんなこともやりたい、とにかく面白いものを創るんだと熱が入り過ぎて、自分が熱出して倒れちゃった(笑)。僕は何をやるにも夢中になると時間の経つのも忘れて頑張っちゃうんですよ。だから、舞台の演出をするときは助手に1・2時間経ったら教えてくれるように頼んでいるんです。そうでないと何時間でもぶっ通しでやり続けて周りからひんしゅくを買っちゃう(笑)。

 

 

●稽古が始まると一日中芝居のことを考えている感じですか?

 1年間に研究生の発表会も含めて4本程芝居をやるとなると、一日中というより一年中芝居のことがアタマから離れることがない。家に帰ってもずっと考えていますから。研究所を任された1年目なんかは、研究生と付き合うのも初めてだったので一緒に飲みに行ったり、遊園地まで行ったり、ちょっと家族を犠牲にしてしまいかみさんから怒られた(笑)。

 

●では最後に、役者・演出家・指導者として長年演劇界で仕事をしてきた伍堂さんから、役者を目指す若者にガツンと熱いメッセージをお願いします!

 やるんだったら中途半端じゃなくとことんやること!この世界、待ってちゃダメ、自分から積極的に行動を起こさないと。研究所で役者の卵を指導するようになってショックだったのは、ちょっと体調が悪いからといってすぐ稽古を休むヤツがいたことでした。ホントに役者になりたいのか、プロとして仕事がしたいのかと思いましたね。貪欲さが感じられないんですよ。それと最近の若者は喜怒哀楽など表現の仕方が弱い。雑談をする中でも感情を表に出さない。顔に表情がないんです。たとえば、発声ひとつとっても、感情の持ち方、表し方でいろいろと表現できるものです。もっと自分を出して欲しいですね。演出家が使ってみたい役者っていうのは、自分の色を持った人間なんですよ!

 


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